東京地方裁判所 平成7年(ワ)24693号 判決 1999年3月29日
第一事件原告・第二事件被告
有限会社スコット
右代表者代表取締役
鈴木忠志
第一事件原告・第二事件被告
護嶋春水こと戸村孝子
第二事件被告
長谷川裕久
右三名訴訟代理人弁護士
松田政行
同
早稲田祐美子
同
齋藤浩貴
同
谷田哲哉
右三名訴訟復代理人弁護士
山崎卓也
同
松葉栄治
第一事件被告・第二事件原告
金恵敬
第一事件被告
呉智英こと新崎智
第一事件被告
武田洋平
右三名訴訟代理人弁護士
仁平勝之
同
富永豊子
主文
一 第一事件被告らは、第一事件原告有限会社スコットに対し、連帯して金五〇万円及びこれに対する平成七年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 第一事件被告らは、第一事件原告戸村孝子に対し、連帯して金五〇万円及びこれに対する平成七年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 第一事件原告らのその余の請求及び第二事件原告の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、第一事件、第二事件ともに、これを一〇分し、その四を第一事件被告・第二事件原告金恵敬の、その各二をそれぞれ第一事件被告新崎智及び第一事件被告武田洋平の、その各一をそれぞれ第一事件原告・第二事件被告有限会社スコット、第一事件原告・第二事件被告戸村孝子の負担とする。
五 この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
一 第一事件
1 被告らは各自、原告有限会社スコット及び原告戸村孝子それぞれに対し、金七〇八万円及びこれに対する平成七年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、その費用をもって、原告らのために、別紙謝罪広告目録一記載の謝罪広告を、見出し及び記名宛名は各一四ポイント活字をもって、本文その他の部分は八ポイント活字をもって、朝日新聞社発行の朝日新聞、産業経済新聞社発行の産経新聞、及び讀賣新聞社発行の讀賣新聞の各全国版朝刊社会面、中日新聞社発行の東京新聞の朝刊社会面、並びに統一日報社発行の統一日報に各連続して三回掲載せよ。
二 第二事件
1 被告らは、別紙第二物件目録記載の各物件を組み込んだ別紙第一物件目録記載の舞台装置を制作してはならない。
2 被告有限会社スコットは、別紙第二物件目録記載の各物件を廃棄せよ。
3 被告らは、原告に対し、連帯して金五〇〇万円及びこれに対する平成八年一月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 被告らは、朝日新聞社(東京本社)発行の朝日新聞、讀賣新聞社(東京本社)発行の讀賣新聞、及び産業経済新聞社(東京本社)発行の産経新聞の各全国版社会面に、二段抜き左右二〇センチメートルのスペースをもって、見出し二〇級ゴシック、本文一六級明朝体、被告ら名及び宛名一六級明朝体の写真植字を使用して、別紙謝罪広告目録二記載の広告を各一回掲載せよ。
第二 事案の概要
以下、第一事件原告・第二事件被告有限会社スコットを「又コット」と、第一事件原告・第二事件被告戸村孝子を「戸村」と、第二事件被告長谷川裕久を「長谷川」と、第一事件被告・第二事件原告金恵敬を「金」と、第一事件被告新崎智を「新崎」と、第一事件被告武田洋平を「武田」と、それぞれいう。
第一事件は、著作権侵害行為をした旨の記者会見を金、新崎及び武田が行ったことがスコット及び戸村の名誉毀損に当たるとして、スコット及び戸村が金、新崎及び武田に対し、損害賠償及び謝罪広告を求めた事案である。
第二事件は、戸村、スコット及び長谷川が、造形美術作品について金の有する著作権を侵害したとして、金が戸村、スコット及び長谷川に対し、制作の差止め、作品の廃棄、損害賠償及び謝罪広告を求めた事案である。
一 前提となる事実(証拠を示したもの以外は当事者間に争いがない。)
1 当事者
金は、昭和三三年韓国に生まれ、昭和五七年から日本に居住し芸術活動を続けている造形美術作家である。
戸村は、二〇年余り制作・発表活動を続けてきた美術家である。平成三年以降は、主として護嶋春水の雅号を使用している。
スコットは、代表取締役である鈴木忠志が主宰する劇団SCOTとして、昭和四六年より演劇活動を続けている。鈴木忠志は、中国、韓国及び日本の劇団が共同で開催するBeSeTo演劇祭(平成六年に第一回をソウルで開催)の日本代表として活動するなどの国際的演劇活動を行っている。
長谷川は、水戸美術館のACM劇場の専属劇団である劇団ACMの専属演出家であり、後記本件演劇の演出等を担当した。
新崎は、呉智英の筆名で執筆活動をしている評論家であり、武田は、大学助教授であり、評論活動をしている。新崎及び武田は、金と共に、後記本件記者会見を行った。
2 本件著作物
金は、平成二年五月までに、「復活を待つ群」と題する一連の造形美術作品の一部である別紙著作物目録記載の衝立状造形美術作品二五点(以下、まとめて「本件著作物」といい、右目録の番号で個別に特定する。)を創作し、各著作物について著作権及び著作者人格権を取得した。
3 戸村作品
戸村は、別紙第二物件目録記載の各作品(以下、まとめて「戸村作品」といい、右目録の番号で個別に特定する。)を平成七年一月九日までに制作し、銀座櫟画廊で発表した(甲二〇)。
4 本件演劇
平成七年一一月三日から二一日までの間東京で開催された第二回BeSeTo演劇祭の参加作品として、同月一〇日から一二日までの間、パナソニック・グローブ座において、スコット制作、長谷川作・演出、戸村美術担当に係る舞台演劇「赤穂浪士」が上演された(以下「本件演劇」という。)。
その際、戸村作品を組み込んだ別紙第一物件目録記載の舞台装置(以下「本件舞台装置」という。)が使用された。
5 本件記者会見
平成七年一一月一〇日、本件演劇の初日の終演後、金は、スコットの事務局長である斉藤郁子(以下「斉藤」という。)に対し、本件舞台で使用されている戸村作品は金の作品の盗作ではないかという指摘をした。
同月二一日、金は、新崎及び武田とともに、報道機関各社を招いて記者会見を行った。同人らは、報道各社に対し、その連名による「劇団SCOTによる舞台美術剽窃事件に関する記者会見のお知らせ」と題する書面を事前に配布した。そこには、「作品の剽窃が発覚」などの記載がある(甲一)。
また、同人らは、記者会見の席でも、戸村作品が本件著作物を盗用・剽窃したものであり、スコット及び戸村には盗用・剽窃の責任がある旨発表した。
右記者会見の内容を伝える記事が、翌二二日、朝日新聞、産経新聞、讀賣新聞、東京新聞及び統一日報に掲載された(甲二ないし六)。
二 争点
1 戸村作品の制作行為は著作権侵害行為に当たるか。
(金の主張)
戸村作品を制作した戸村の行為は、以下のとおり、本件著作物を複製したものといえるから、金が本件著作物について有する同一性保持権、複製権、翻案権を侵害した。
(一) 本件著作物の特徴
本件著作物は、①内側に∩状先端を有する円柱様形態を配した独創的な構図、②藍染の地色に金泥で着彩した大胆な配色、③プリミティブな紋様、④偏平、等辺又は不等辺山形の先端を持つ縦長の群立させた衝立状の全体的形状、という新鮮で洗練された特徴を備える造形美術作品である。
本件著作物「復活を待つ群」は、古代においても現在においても、世の中に充満する生命が、形象の中に集約され、群れを作り、ドルメンの形の中で満ち溢れている生命体そのものを表している。群れとなっている生命体は、生殖、増殖しているうちに自らの生命の終わりを告げられ、地に埋められる。その限られた生命体の有機物は、その姿の形態は存在しなくても、魂は永遠の眠りの中で復活の日を待っている。
本件著作物の立石(ドルメン)の形態は、生命それ自体を形象化した形である。生命が生成、志向しようとする意思が内含された生命の具体的な動きが群れになり、形象を作っている。
深い藍色(ディープブルー)は、聖書の創世記に書かれた神の創造から得た色であり、本件著作物の存在にかかわる重要なファクターである。金色は、すべての生命体に神の息吹が吹き込まれた標として、光の象徴として使われている。
本件著作物の全体に金色で表現されたプリミティブな紋様は、復活を待つ生命体の群集を表現する。紋様が金色なのは、生命体が既に神の息吹が吹き込まれた復活を待つ状態であることを表現する。
偏平、等辺又は不等辺山形の先端を持つ縦長の全体的形状は、本件著作物が、立てられた際の本件著作物その物の実像と本件著作物から映った影の虚像までも考えて創作された。
(二) 本件著作物と戸村作品との類似性
本件舞台装置に組み込まれた戸村作品は、本件著作物と同一と評してよいほど、本件著作物の前記の複数の顕著な特徴が一致する。
本件著作物(一)1ないし3と戸村作品一
本件著作物(二)1ないし4と戸村作品二、三
本件著作物(三)1ないし13と戸村作品四ないし一〇
本件著作物(四)と戸村作品一一、一二
本件著作物(五)と戸村作品一三
本件著作物(六)1ないし3と戸村作品一四
を対比するとその特徴が一致しており、酷似している。
(三) 依拠性
戸村作品は、以下の理由から、本件著作物に依拠して制作された。
(1) 金の著作物は高い社会的評価を受けており、本件著作物は、多数の個展・団体展、舞台で展示され、また、カタログ、広報・報道記事、新聞・雑誌等で多数紹介されているから、戸村らは、本件著作物に接したと考えるのが合理的である。
(ア) 金の創作活動及びその著作物の社会的評価
金の創作活動の内容及び作品については、「にっけいあーと」平成二年七月号の記事(乙三)、平成三年一〇月号「LOOK JAPAN」誌の記事(乙一一)、平成三年一〇月二〇日発行「KAWASHIMA」の記事(乙四)、平成四年一月二〇日発行の「かたち」という工芸関係の季刊誌の一八頁以下における、金の布製の作品の写真入りの掲載記事(乙一四)、平成六年一二月版「textile forum」誌の表紙及び記事(乙一二)、平成七年一月一日発行「なごみ」の記事(乙五)、平成八年―九年版「CraftArtsInternational」誌の表紙及び記事(乙一三)に取り上げられる等高く評価されている。
(イ) 本件著作物の個展・団体展、舞台での発表
金は、本件著作物を含むシリーズ「復活を待つ群」を、次の個展・団体展において順次発表した。
① 平成元年 個展「In the sky of memory a small gold bird is flying」、杉谷家・東京
② 同年 個展「The Indigotic Mythology」、ギャラリー長谷川・東京
③ 平成二年五月 個展「The In-digotic Mythology」、画廊彩博・尼崎
④ 同年七月 個展「金恵敬作品展」、ギャラリースペース21・東京
⑤ 平成三年五月「現代アジアアートロード展;From IRAQ to JAPAN」、銀座・東京
⑥ 同年一一月 「アジアアートロード展」、韓国文化院ギャラリー・東京
⑦ 平成七年 「北緯35度47分・赤羽博覧会」、東京
⑧ 平成七年二月に東京の津田ホールで開催された韓国の音楽家黄秉冀の伽琴リサイタルにおいて、「復活を待つ群」で舞台装置が制作され発表された。
これを著作物ごとに整理すると以下のとおりである。
ア 本件著作物(一)について
平成三年一一月二七日から一二月二一日まで開催「アジアアートロード展」、韓国文化院ギャラリー・東京
イ 本件著作物(二)について
平成三年五月一三日から一八日まで開催「現代アジアアートロード展;From IRAQ to JAPAN」、銀座・東京
ウ 本件著作物(三)について
平成三年一一月二七日から一二月二一日まで開催「アジアアートロード展」、韓国文化院ギャラリー・東京
平成七年二月開催、韓国の音楽家黄秉冀の伽琴リサイタルの舞台装置、津田ホール・東京
エ 本件著作物(四)について
平成三年一一月二七日から一二月二一日まで開催「アジアアートロード展」、韓国文化院ギャラリー・東京
オ 本件著作物(五)について
平成三年一一月二七日から一二月二一日まで開催「アジアアートロード展」、韓国文化院ギャラリー・東京
カ 本件著作物(六)について
平成二年五月一二日から二七日まで開催、個展「The Indigotic Mythol-ogy」、画廊彩博・尼崎
平成二年七月二日から七日まで開催、個展「金恵敬作品展」、ギャラリースペース21・東京
平成七年二月開催、韓国の音楽家黄秉冀の伽琴リサイタルの舞台装置、津田ホール・東京
(ウ) カタログ・新聞・雑誌等での紹介
金の作品は、前記個展・団体展、公演のカタログ、広報・報道記事その他多数の国内外の新聞・雑誌等に紹介されている。
① 平成二年七月号「にっけいあーと」二〇三頁以下に、「注目展から」と題して、平成二年五月一二日から二七日まで尼崎の画廊彩博で開催された個展「The Indigotic Mythology」の会場風景写真入りの記事が掲載された(乙三)。金は、この個展において、本件著作物(六)を主として展示した。
② 平成三年五月一三日から一八日まで中央区銀座一―一六―六のビルで「現代アジアアートロード展;From IRAQ to JAPAN」が開催され、そのパンフレットが発行された(乙七)。その際、金は本件著作物(二)を展示した。
③ 平成三年五月二〇日発行の日本経済新聞に、右団体展に関して、本件著作物(二)の展示を含む会場風景の写真入り記事が掲載された(乙八)。
④ 平成三年一〇月二〇日発行の装飾デザイン関係の季刊誌「KAWASHIMA」五〇頁以下に、「不可視的なものの象形」という表題で、平成二年五月一二日から二七日まで尼崎の画廊彩博で開催された個展「The Indigotic Mythology」の会場風景写真(五一頁上の写真)、平成二年七月二日から七日まで銀座のギャラリースペース21で開催された個展「金恵敬作品展」の会場風景写真(五一頁下の写真)等、金の作品についての記事が掲載された(乙四、五)。
⑤ 平成三年一一月二七日から、池袋サンシャインシティ六〇の五階韓国文化院ギャラリーで開催された「アジアアートロード展」の初日の会場風景がNHKの番組「イブニング・ネットワーク」で放映された(乙三九)。
戸村孝子展のカラー写真入り記事が掲載されている平成三年五月号「月刊ギャラリー」の同じ号に韓国文化院のアジアアートロード展の記事も大きく掲載されている(甲一一、乙四八の六)。
⑥ 平成三年一一月二七日から一二月二一日まで開催された右「アジアアートロード展」のパンフレットが発行された(乙九)。その際、金は、本件著作物(一)、(三)、(四)、(五)を展示している。右パンフレット六頁は平成二年七月二日から七日まで銀座のギャラリースペース21で開催された個展「金恵敬作品展」(乙五)の会場風景写真であり、七頁は平成三年五月一三日から一八日まで中央区銀座一―一六―六のビルで開催された「現代アジアアートロード展;From IRAQ to JAPAN」(乙七)の会場風景写真である。
⑦ 平成六年五月二一日から同年六月一九日まで横浜美術館において開催された個展「金恵敬作品展―神話とドラマ」では、それまで発表された金の作品の代表作を収録したカタログ(乙二)二五〇〇部を出版し、展覧会中約一二〇〇部を配布し、展覧会終了後、日本国内の美術館、図書館、美術団体などに約八〇〇部、韓国に約三〇〇部、その他外国に約一〇部郵送したが、その中には長谷川が所属していた水戸美術館も含まれており、残部のカタログは現在も麻布美術工芸館で販売されている。
⑧ 平成七年一月一日発行の茶道関係の月刊誌「なごみ」五六頁以下に、平成二年五月一二日から二七日まで尼崎の画廊彩博で開催された個展「The Indigotic Mythology」の会場風景写真入りの記事が掲載された(乙六)。
⑨ 平成七年五月二〇日発行の隔月刊誌「ワールドプラザ」の二八頁以下に、平成七年二月に津田ホールで開催された韓国の音楽家黄秉冀の伽琴リサイタルの舞台写真入りで金の紹介記事が掲載された(乙一〇)。
(2) 戸村作品は、前記のとおり、本件著作物の特徴をすべて有しており、しかも、本件著作物の発表後わずか数か月後に戸村作品が制作されていることから見て、到底偶然の一致とは考えられない。三次元的立体造形物において、複数の特徴につき、かつ複数の種類の作品につき、わずか数か月の時間の間に偶然の一致が起こる確率は零に等しい。戸村は、戸村作品制作以前も以後も、多様な色彩を使い具象性の強い絵画(平面作品)を主として制作してきたものであり、その作家活動の延長で戸村作品が生まれることは不自然である。
(スコット、戸村、長谷川の反論)
戸村は、独自に戸村作品を制作したものであり、本件著作物に依拠したことはなく、また、本件著作物と戸村作品とは類似しないから、戸村作品の制作は、金の同一性保持権、複製権、翻案権の侵害には当たらない。
(一) 依拠性について
(1) 戸村は、金から著作権侵害である旨の抗議を受けるまでは、金の作品を見たことは一度もないし、金という美術家の存在すら知らなかった。戸村は、その作品を日本古来の造形的表現の影響を受けてかつ自己の創造力によって創作したものである。
創作の経緯は以下のとおりである。戸村は、平成二年に「潭心」を描くころから、仏教的テーマを扱うようになり、平成三年に完成した「連声」では、人間の煩悩を浄化して行く過程をテーマに描いた。この間、戸村は、立体作品、舞台美術に関与し、仏教的思想における人間の煩悩を浄化する過程をこれら表現形式で完成しようとした。平成七年はじめころから、その年の個展用に創作を始めた。戸村は、仏教的思想における人間が煩悩を浄化する過程を祈りという行動によって行うことを、戸村作品「祈り」として描くこととした。戸村は、右思想・感情(煩悩浄化の過程である祈りという行動とそのエネルギー)を表現するのに、基本的色彩構成として、藍色を浄化の象徴とし、金色を仏教的な精神の象徴として使うこととした。七、八年前から大きな影響を受けて来た都幾川村の板石碑群を立体の表現に採用し、さらに、これまで創作して来た絵画、舞台美術における藍(黒)と金泥の技術を使うこととなった。平成六年の「ジュリエット」の舞台美術は、黒を使用したが、費用上からの選択で、本来は藍で表現すべきであり、この舞台美術の作品において「祈り」に使用する色彩的要素はすべて表現されていた。思想・感情、形態・構成、及び色彩のいずれの要素も、従前から存在したもののその集大成として「祈り」を創作した。平成六年夏ころにイメージを作りデッサンと試行を重ね、秋には、経師屋、アクリル板、鉄工所の手配を行い創作に入り、本件「祈り」は、個展の前日である平成七年一月八日に完成した。
戸村は、立体作品や抽象作品も数多く手がけてきた。戸村が多様な色彩を使った具象性の強い絵画(平面作品)のみを制作してきたとの金らの主張は否認する。
(2) 戸村と金は、それぞれ作家としての活動の場が異なるから、戸村が本件著作物に接する機会はない。戸村は、二紀会同人であり、同会を中心に活動しているのに対して、金は、日本にいるアジアの作家として、創作活動をしている。このことは、金がこれまで発表したと主張する「アジアアートロード展」、「現代アジアアートロード展」、「韓国の色とかたち」、「伽琴リサイタル」の表題を見ても、発表の場所が韓国文化院ギャラリーが多いことを見ても、美術雑誌「ギャラリー」で金が「アジアのアーティストたち」として紹介されていることを見ても、明らかである。
(3)① 戸村が戸村作品を銀座の櫟画廊において発表したのは、平成七年一月九日から一四日であるから、これ以後の金作品の展示、出版物等に関する主張は意味がない。
② 戸村は、展示会の開催の事実、開催内容等について、一切認識がない。
金の主張を前提としても、金作品の大半をなす著作物目録(一)、(三)ないし(五)の著作物は、「アジアアートロード展」で展示されたのみである。この展示には(二)、(六)の著作物が含まれていないから、金作品の実物すべてに接するためには、「画廊彩博尼崎」での個展又は「ギャラリースペース21」での個展、「現代アジアアートロード展」及び「アジアアートロード展」の三つもの個展又は展示会に行っていなければならないことになる。戸村は、これらの個展又は展示会にはいずれも行ったことはない。
③ 金作品の出版物等における紹介について、金が依拠の主張の根拠としている出版物等のうち平成七年一月の戸村作品の発表より以前のものを見ると、金の主張を前提としても、金作品の写真が掲載されている出版物等は、乙二、四、六、九号証しかない。それもほとんどが本件著作物(六)の作品のものであり、本件著作物(一)、(四)、(五)の作品については、いかなるかたちでも出版物等に掲載されていない。また、乙四号証の写真及び乙六号証目次頁の本件著作物(二)、(三)に類似した作品の写真は、非常に小さな写真で、金作品の美術作品としての表現の特徴を感得できるようなものではなく、これらの写真のみによって、依拠性を根拠づけることができるものではない。また、乙九号証のパンフレットは、「アジアアートロード展」で配布されたものであるから、右展示と別個に依拠性の根拠にはなり得ない。したがって、結局、出版物等に掲載された金作品の写真について、独立した依拠性の根拠となり得るのは、乙六号証の雑誌の本件著作物(六)2作品の写真、及び乙九号証のパンフレットの本件著作物(二)、(六)作品の写真のみである。結局、金の本件作品に出版物のみで依拠することは不可能である。
④ 右のとおりの、展示及び出版物等に関する金の主張を総合すると、展示及び写真のすべてを含めて考えても、金作品の大半を構成する本件著作物(一)(三)ないし(五)の作品に接する機会は、唯一、平成三年一一月二七日から一二月二一日まで開催された「アジアアートロード展」しかない。
仮に、本件著作物(一)、(三)ないし(五)が同展覧会に出展されていたとの金らの主張を前提とすれば、同展覧会に行った者は、一応、本件著作物のすべてに接することができる(本件著作物(二)、(六)については、同展覧会のパンフレットに掲載されている)。しかし、戸村は右展覧会に行った事実はない。右展覧会に戸村が行ったという証拠は直接的にも間接的にも一切存しない。韓国文化院ギャラリーで二四日間という極く短期間に限り開催された「アジアアートロード展」に、戸村が行った可能性が高いということはできない。
のみならず、本件著作物(一)、(三)ないし(五)が平成三年一一月二七日から一二月二一日まで開催された「アジアアートロード展」に出品されていたという金らの主張は、金自身の証言を除いて証拠がなく、不自然である。
⑤ 金自身に対する社会的評価について、金主張の程度のパブリシティでは、金が美術家として広く知れ渡った存在であり、戸村がその存在を知っていたはずであるとは到底いえない。戸村は本件において金から平成七年一一月にクレームを受けるまで、金という美術家の存在を全く知らなかった。このことは長谷川その他スコットの関係者についても同様である。
(二) 類似性について
金の作品「復活を待つ群」も戸村の作品「祈り」も、いくつかの板状作品を全一体として一つの著作物として発表したものであるから、それぞれ全体の著作物について対比すべきであり、戸村の作品「祈り」の中の個々の構成部分と金の作品「復活を待つ群」の構成部分について対比するのは相当でない。そうすると、両者は非類似である。
金は本件著作物の特徴を四つ挙げるが、このうちプリミティブな紋様以外の三つの特徴は、日本の所々に見られる形、色彩等の組合せであって特徴とはいえない。プリミティブな紋様について、金は、自己の作品中の花、鳥その他すべての生命体をその中に描いており、この生命体は金作品の思想から来る本質的なものであるというが、戸村作品には、このような生命体の表現は存在しないから、金の本質的表現と戸村の作品は異なるものである。
2 本件舞台装置の制作行為は著作権侵害に当たるか。
(金の主張)
本件演劇に当たって、スコットは演劇「赤穂浪士」の制作者として、長谷川は右演劇の作・演出者として、戸村は右演劇の美術担当者として、思想又は感情を創作的に表現して右演劇を創造するという目的のために、共同して、戸村が複製した戸村作品を、金に無断で利用し組み込んで本件舞台装置を制作し、しかも、本件演劇の際に、右各人の制作名義の舞台装置として発表したから、金が本件著作物について有する同一性保持権、複製権、翻案権を侵害する。
舞台装置は、演劇の一つの部門であり、脚本・演出・装置・演技・照明・音楽・音響効果などが一つに統合されて演劇がはじめて総合芸術として成立する。本件舞台装置全体は、本件著作物を複製、改変した戸村作品を組み込んで制作されたものであり、本件舞台装置の大道具として用いられているほか、ござ、行灯、風呂敷包みとともに不可分一体の舞台装置として、構成されている。したがって、スコットらの本件舞台装置の制作行為は、単に本件著作物の複製物、改変物をそのまま展示したような場合と異なり、新たな著作権侵害行為と評価すべきものである。
(スコット、戸村、長谷川の反論)
本件舞台装置は、戸村作品をそのまま舞台上に展示したものであるから、本件著作物のいずれについても複製、改変する行為はない。金は、本件著作物を板状の一つずつとして主張するから、これと本件舞台装置の関係で、複製、改変を論じることはできない。
本件著作物(原作品)を使用して舞台装置を作った場合、本件著作物に係る展示権が問題となることがあり得ても、本件著作物の複製権が問題となることはあり得ない。本件舞台装置の制作等は、戸村作品の制作が著作権侵害となるか否かで完全に評価し尽くされるものである。著作権法は複製を有形的に再製することと定義しており、舞台に並べたからといって個々の作品を有形的に制作したことにはならないから、複製には当たらない。また、同一性保持権侵害が認められるためには、作品に何らかの変更が加えられる必要があるところ、本件舞台装置の設定を想起した時に、本件著作物それ自体に何らの変更が生じていないことも明らかである。
したがって、スコットによる本件舞台装置の制作は、本件著作物の複製権侵害となることはあり得ず、単なる戸村作品の展示にとどまるものであり、著作権法が原作品による展示の場合にしか展示権を認めていない以上、スコットの本件舞台装置の制作は本件著作物の著作権の侵害とはなり得ない。
3 戸村作品及び本件舞台装置の制作等による金の損害等
(金の主張)
本件著作物は、金のライフワークともいうべき精神的労作に基づく独自の著作物であり、金の独創的な作品として社会的評価を得ているものであるが、戸村らの拙劣な無断複製、改変により、本件著作物の芸術的評価が損なわれた。金は、戸村らの前記行為により、造形美術家としての名誉声望を傷つけられる等の精神的苦痛を被った。この精神的損害に対する慰謝料の額は五〇〇万円を下らない。また、金の名誉を回復するためには、謝罪広告が必要である。
4 本件記者会見についての不法行為の成否
(スコット、戸村の主張)
(一) 平成七年一一月一〇日の本件演劇初日の終演後、金から、スコットの事務局長である斉藤に対して、舞台で使用されている戸村作品は金の作品の盗作ではないかという口頭の指摘がされたので、斎藤は、真相を究明すべきだと判断し、翌一一日、戸村に連絡をすると共に、金の要請に応じて金の舞台写真の撮影に協力し、また、本件演劇で使用されている美術品の作者である戸村が金と会談する用意がある旨を金に伝えた。ところが、同月一三日になり、金が意を翻して会談を拒否した。
金は、新崎及び武田とともに、同月二一日に、突然報道機関各社を招いて本件記者会見を行った。金ら三名は、報道各社へ事前に配布した三名の連名による「スコットによる舞台美術剽窃事件に関する記者会見のお知らせ」と題する書面において、「作品の剽窃が発覚」としてスコットが金の作品を剽窃し、戸村制作に係る美術品が金の作品を剽窃している趣旨を記載した。また、記者会見の席でも、三名は口頭で、出席した記者に対し、戸村作品が本件著作物を盗用・剽窃したものであると述べ、このような盗用・剽窃の責任が戸村、スコットにあると発表した。
スコット及び戸村が金の作品を盗用、盗作又は剽窃したとの記者発表に基づく記事が、翌一一月二二日、朝日新聞、産経新聞及び讀賣新聞の全国版社会面、東京新聞の社会面、並びに統一日報の各新聞紙上に掲載された。
(二) 前記のとおり、スコット及び戸村が金の作品の剽窃などしていないのは明白であり、金がスコット又は戸村から事情を聞けば容易にこのことを了解できたはずである。ところが、スコット、戸村らが事情を説明する機会を設けたにもかかわらず、金はこれに応じようとせず、金、新崎、武田は事実関係を調査することを全く怠って事実に反する本件記者会見を行い、これに基づく記事が主要全国紙に掲載されたため、スコット及び戸村の名誉は著しく毀損され、社会的信用も傷ついた。
(三) 金は、平成七年一一月一〇日に本件演劇を見て、暗い舞台上にある作品を自分の作品それ自体であると観察し、同時に自らの作品に描かれた生命体も認識できたと言う。しかし、当時金が撮った写真で、裁判所に目録として提出されている写真は、いずれも暗く対象を充分に把握することができない。本件著作物は、一つとして同じ大きさのものはないから、金が少し落ち着いていれば、舞台上の戸村作品はすべて四〇センチメートル×二〇〇センチメートルの同一の大きさであり、板石碑型のないものも発見できたのであるから、これが自己の作品であると誤信をしなかったはずである。金の観察は、外形の形状と金、藍の色彩を暗く遠い観察方法ならば同じに見えるというにすぎない。金は、被害感情が先行し、客観的観察ができなくなっていた。
第三者である新崎、武田は、金の観察が適切であったかを確認し、戸村との調査、話し合いを行って冷静に判断することができる立場にあったのに、金の右観察をそのまま鵜呑みにして、一方的な記者発表をした。両名は、かかる判断をした唯一の資料が、一一月一〇日の暗い劇場の写真と同月一一日の不鮮明な写真のみであったことを自認している。右二名には、この点で過失がある。
(金、新崎、武田の反論)
金らが本件記者会見を開くに至った経緯は、次のとおりである。
金は、平成七年一一月一〇日、第二回BeSeTo演劇祭のレセプションに参加後、「赤穂浪士」を観劇するため劇場に入った瞬間、自分の作品「復活を待つ群」と酷似する舞台装置を見て驚愕した。
そこで、右演劇終了後に、劇団スコットの事務局長斉藤に自分の作品のカタログを示しながら説明を求めたところ、その場に、スコットの代表者である鈴木忠志及び長谷川がいて、斉藤と協議していたにもかかわらず、斉藤のみが対応し、劇団とは関係がないことなので、翌日美術担当の戸村と連絡し電話をすると回答するだけで、何ら誠意ある対応をしなかった。
その後も、斉藤は、劇団とは関係ないので戸村と二人で話すようにといい、戸村との面談の機会を設けようとするだけで、誠意ある対応をしないので、金は思い余って、同人の芸術活動の良き理解者であり、金の作品も発表されたブルガリアで開催された「アポロニア芸術祭」にも、共に参加した間柄である新崎(社会・文化評論家、東京理科大講師)と武田(国際関係論、文化史等の研究家、東海大学助教授)に相談した。
BeSeto演劇祭は、中国、韓国、日本の演劇人が文化の出会いの場を設けるため創設したものである。戸村、スコットは、かかる演劇祭において、金の有する著作権を侵害する本件舞台装置をもって本件演劇の上演をしたものであるから、文化活動に携わる者として、事態をより一層深刻に受け止め誠実に対応すべき責務があったにもかかわらず、何らの誠意ある対応をしなかった。そこで、金、新崎及び武田は、このままでは戸村、スコットの責任がうやむやになってしまうことを憂慮し、かかる事態について学術的問題を提起することによって、金の芸術家としての名誉を擁護するとともに戸村、スコットに対し文化活動に携わるものとしての自覚を喚起すべく新聞人に広報し本件記者会見を開いた。
以上のとおり、金らは、著作権を侵害された者として、その権利を擁護すべく記者会見を開き、参加記者はその判断で記事を書いたのであるから、不法行為は成立しない。
5 本件記者会見によるスコット及び戸村の損害
(スコット、戸村の主張)
本件においては、金、新崎、武田は、戸村の言い分を聴かず軽率に、多くのマスコミ新聞記者を集め虚偽の事実を流布した。多くの新聞はこれを扱い、戸村、スコットの名誉、声望は回復できない状況に置かれた。戸村は美術家として死に値する「盗作」だとする虚偽の事実を公表された。スコットは世界的に有名な日本を代表する劇団であり、舞台美術が著作権を侵害したとする事実の公表は、大きな影響を与えている。これらは、金の誤認と新崎、武田の検証を一切しない軽率な判断から生じたもので、過失は重大である。武田は当時大学の助教授であり、社会的責任ある地位にあり、また、新崎は、評論家としてテレビ等に出演して意見を公表することを業とするもので、社会的責任ある地位にあり、マスコミが、その発言等を重大に受けとめる人物であるので、本件記者発表の結果はより重大である。三名は、本件訴訟の審理が進むまで、戸村の作家としての地位を知らず、著作権侵害の事実を類似性のみで論じられると考え、本訴に及んだものである。
これらの事情を考慮すれば、戸村及びスコットの精神的損害の額はそれぞれ五〇〇万円を下らない。また、金ら三名の前記不法行為と相当因果関係のある弁護士費用に係る損害は、戸村及びスコットそれぞれについて、各二〇八万円である。さらに、毀損された名誉、声望を回復するために謝罪広告が必要である。
第三 争点に対する判断
一 争点1、2について
争点1、2(戸村作品の制作行為及び本件舞台装置の制作行為は著作権侵害に当たるか否か。)について、戸村が戸村作品を制作するに当たり、本件著作物に依拠したか否かの点から判断する。
以下のとおり、戸村の戸村作品の制作経緯及びその他の事情を総合すると、戸村は本件著作物に依拠して戸村作品を制作したと認めることはできないので、戸村作品の制作行為は著作権侵害に当たらないし、また、本件舞台装置の制作行為も著作権侵害に当たらない。
1 戸村作品の制作経緯
証拠(甲一一ないし一五、一九、戸村本人。なお、枝番号の表示は省略する。以下同じ。)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 戸村は、美術家として、二〇数年の間、絵画や造形美術の制作活動をしている。昭和六三年に二紀会奨励賞を受賞する等の経歴を有し、主として、二紀会を中心に創作活動を続けている。昭和五七年ころから、毎年のように、個展を開催し、後述のとおり、平成二、三年ころから、舞台美術、立体美術に関する活動を行うようになった。
(二) 戸村は、女性の心理、心の揺らぎをテーマとして、女性を描いた絵画作品を発表していたが、平成元年ころから、霊、生死、煩悩をテーマとして、抽象的な絵画作品を創作、発表するようになった。平成三年ころからは、人間の煩悩を浄化して行く過程をテーマとして、複数の絵画作品を発表し、それらの作品で藍色を多用している。また、戸村は、平成二年ころ、「マクベス」の舞台美術に関係してから、立体作品、舞台美術に関与するようになり、平成三年に、利賀フェスティバルにおけるアートワーク、平成四年に、「イワーノフ」における舞台美術、「予言者」の立体作品、平成六年には、「ジュリエット」における舞台美術等に関連した創作活動をした。「予言者」においては、作品の配置された空間は、明らかに仏壇をイメージしたものと分かるように構成されている。また、「ジュリエット」においては、衝立状の作品を複数一連のものとして配置し、黒色をベースとして、上に金色や銀色を配色した構成を選択している。
(三) 戸村作品の制作経緯は、以下のとおりである。
戸村は、平成七年の個展用の作品として、仏教的思想における煩悩の浄化の過程及び祈りという人間の行動をテーマに、創作を開始した。戸村は、平成二年以来、何回か、埼玉県都幾川村を訪れ、板碑群を見て、感銘を受けたことがあり、自己の立体的作品に、板碑群の形態を取り入れることを考えた。そして、右のテーマを表現するため、乱立している卒塔婆の様をイメージし、卒塔婆に模した形状の板を、多数、天に向けて配置するとともに、内部には、円形凸型の模様を描くこととし、藍色及び金色の色彩を選択した。平成六年夏ころ、デッサンと試行を重ねた末、同年秋ころ、経師屋、アクリル板、鉄工所の手配を行いアトリエでの作業を始め、個展の前日である平成七年一月八日に戸村作品を完成させ、その題号を「祈り」とした。
(四) 戸村は、戸村作品を完成させるまでの過程で、クロッキーブックや図画用紙等に数多くの習作を繰り返し行った(甲一四)。個々の板状作品の形状については、卒塔婆、教会、神社、家屋、仏塔等から、複雑に影響を受けたこと、全体の大きさ、縦横の寸法比等については、様々な工夫を重ねていたこと、徐々に洗練された形態に発展させたこと等が窺え、板状作品の内側に∩状先端を有する円柱様形態を配した点については、教会正面、山脈の稜線等の形状等に影響を受けたこと、様々な工夫を重ねていることが窺える。さらに、色彩の選択については、制作のかなり初期の段階から、黒、藍、紫の混合色を考えていたことが窺える。
以上の認定事実を基礎にすると、戸村は、戸村作品を制作するに当たり、本件著作物に依拠したのではなく、専ら、独自の創作的表現を発揮して制作したことは明らかであるから、本件著作物を複製したものではない。
2 金らは、金が、本件著作物を、戸村作品の発表に先行して、個展、団体点で発表したこと、本件著作物が、カタログ、広報記事等で紹介されたことに照らすならば、戸村は、戸村作品を制作するに当たり、本件著作物に依拠したものと解するのが合理的である旨主張する。この点について検討する。
(一) 証拠(乙二ないし一二、一四、一五、一七、一九ないし二一、三四、三九、四三、四八、五七)によれば、以下の事実が認められる。
本件著作物の個展・団体展への発表は、おおむね「二 争点」、1、(金の主張)(三)、(1)、(イ)、①ないし⑥のとおりである。また、カタログ・新聞・雑誌における本件著作物の紹介は、おおむね「二 争点」、1、(金の主張)(三)、(1)、(ウ)、①ないし⑧のとおりである。
(二) 戸村は、戸村作品を制作した時点で、金の存在及び活動内容を全く知らなかった、右各個展ないし団体展については、赴いたことはない、開催の事実及び内容を知らなかったと供述する。
この点について、①平成二年に開催された各個展については、いずれも、本件に関連するものとしては本件著作物(六)のみが展示され、極く小規模のものであったこと、②平成三年に開催された「現代アジアアートロード展」については、展示内容は必ずしも明らかでないが、本件に関するものとしては本件著作物(二)のみが展示され、さほど大規模ではなく、開催期間も極く短期間であったこと、③同年に開催された「アジアアートロード展」については、開催期間が約一か月であり、必ずしも短期間であるとはいえないが、開催場所である韓国文化院ギャラリーは、戸村の経歴、活動内容からしてあまり接点があるとはいえないこと等の事実に照らすならば、戸村が右個展等を知らず、また赴いたこともなかったとする前記供述に、不合理ないし不自然な点はないので、右供述は採用でき、他にこれを覆すに足りる証拠はない。
(三) また、戸村は、戸村作品を制作した時点で、本件著作物が紹介された個展等のカタログ・パンフレット、新聞雑誌の記事等については、全く知らなかった旨供述する。
先ず、個展等のカタログ・パンフレットについては、本件著作物が写真等で掲載されたものは、横浜美術館における個展のカタログ(乙二)、及び韓国文化院ギャラリーにおける展示のパンフレット(乙九)の二点みであるが、前記のとおり、戸村が個展等に赴いたことが認められない以上、戸村がこれらのカタログ等に接して、本件著作物の詳細を知ったことを推認することは到底できない。なお、横浜美術館での個展のカタログ(乙二)が水戸美術館を含む国内の美術館等に約八〇〇部送付されたこと、長谷川が水戸美術館に所属していることは認められるが、右事実をもって、戸村が右カタログに接したと推認することはできない。
次に、その他の出版物については、本件著作物が写真等で掲載されているのは、三点のみである。このうち、①平成二年七月号「にっけい あーと」(乙三)については、本件著作物(六)に類似した作品が、「会場風景」と題して写真で紹介されているが、縦横とも約八センチメートルの極く小さい写真であること、戸村は、「にっけいあーと」を購読したことがないこと、②平成三年一〇月二〇日発行の季刊誌「KAWASHIMA」(乙四)については、本件著作物(六)が、五センチメートル及び3.5センチメートルの極く小さい写真で紹介されていること、③平成七年一月一日発行の月刊誌「なごみ」(乙六)については、右雑誌が美術専門雑誌ではなく、茶道の雑誌であること等の事情に照らすならば、戸村が右出版物に接し、本件著作物の詳細を知ったと推認することは到底できない。なお、平成三年五月二〇日発行の日本経済新聞の「芽吹く多国籍文化」と題する記事(乙八)及び平成三年一月一日発行「月刊ギャラリー」一九九一年一月号(乙四八の四)に掲載された写真は不鮮明なものであり、本件著作物の特徴を認識することはできない。
以上の事実に照らして、戸村がカタログ・パンフレット、出版物等における本件著作物の紹介記事等のいずれも知らなかったとする戸村の前記供述内容に、不合理ないし不自然な点はないので、右供述は採用でき、他にこれを覆すに足りる証拠はない。
3 さらに、金らは、戸村作品は本件著作物と極めて類似しているので、右類似性が本件著作物に依拠した根拠となる旨主張する。
確かに、戸村作品と本件著作物とを対比すると、全体の形状が、偏平、等辺又は不等辺山形の先端を持つ縦長の衝立板を群立させている点、内側に∩状先端を有する円柱様形態を配している点、濃い藍染の地色に金色で彩色している点、比較的プリミティブな紋様を選択している点において共通しているといえる。
しかし、数多くの板を群立させたこと、各板の偏平、等辺又は不等辺山形の先端を持つ全体形状及び∩状先端内側の形状の組合せについては、卒塔婆など既に存在するものであって、配置、形状の選択及び組合わせが特異なものとまではいえず、本件著作物に接することなく、およそ独自に戸村作品を創作することが不可能であるとはいえない。また、濃い藍色と金色の色彩の選択及び組合わせについても、黒と金色の組合せは、仏壇や位牌において既に存在し、特異なものとまではいえず、やはり、本件著作物に接することなく、独自に創作することが不可能であるとはいえない。
戸村作品を構成する個々の板状作品及び本件著作物を構成する各板状作品を対比すると、細部に至るまで、共通の特徴を有するものが存在する。しかし、戸村作品及び本件著作物ともに、形状等を微妙に変えた個々の板状作品群から構成されているため、相互に最も類似する個々の作品を選び出して対比した場合には、共通の特徴を有することは十分に考えられるので、このような共通の特徴があることをもって、戸村が戸村作品の制作に当たり、本件著作物に接したものと根拠づけることはできない。
結局、相互の個々の作品が類似している点をとらえて、依拠したと推認することはできず、この点における金らの主張は採用できない。
4 以上のとおり、本件全証拠によっても戸村が本件著作物に依拠して戸村作品を制作したことを認めることはできないから、戸村作品の制作及び本件舞台装置の制作について著作権侵害は認められない。
二 争点4について
以下に述べるとおり、金、新崎及び武田が本件記者会見を開催したことは、その態様に照らして、戸村及びスコットに対する不法行為であると解することができる。
1 証拠(甲一ないし六、二二、三〇、三一、乙四三、五〇ないし五二、戸村本人、金本人、新崎本人、武田本人)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 金は、平成七年一一月一〇日、本件演劇初日に本件舞台装置を見て、右舞台装置が本件著作物と酷似しており、本件著作物が使用されたのではないかと思い、本件演劇の終演後、スコットの事務局長である斉藤に対して、舞台で使用された戸村作品は、金の作品の盗作ではないかと口頭で指摘した。斉藤は、翌一一日、戸村に電話連絡をして、金からの指摘内容を伝えたが、戸村は、金という者は知らないし、もちろん盗作ということもない旨返答した。戸村と斉藤は、金との話合いの機会を設けることで一致した。同日、金は、BeSeTo演劇祭のシンポジウムを訪れた際、斉藤に会い、舞台装置の写真を撮影したい旨要請し、斉藤は、これに協力した。その際、斉藤は、本件演劇で使用されている美術品の作者である戸村が金と会談する用意がある旨を金に伝え、金は了承した。
(二) 斉藤は、翌一二日の午前三時ころ、同日午後七時にスコット事務所会議室で話合いをするのはどうかという趣旨を記載して、金にファックス送信したところ、金が電話に出て、当日は都合が悪い旨を答えた。同日夕方、金は、右演劇祭会場で斉藤と会い、翌日に話合いの機会を持ちたい旨伝えた。翌一三日午後、斉藤と金は電話で話し、斉藤は、戸村は自分のオリジナルの作品だと言っており、スコットとは関係ない問題なので作家同士で話し合ってもらいたい旨を伝えたところ、金は、それならば会う必要がない旨を伝え、電話を切った。その後、金とスコット、戸村側との連絡はなかった。
(三) 金は、一一月一〇日に本件舞台装置を見た後、旧知の新崎、武田にその件について相談した。一三日、金と新崎は、弁護士事務所に赴き、そこで、新崎は、本件舞台装置を撮影した一〇枚程度の写真を見て、右舞台装置は金の作品の剽窃である旨確信し、金と共に記者会見を行うことを決めた。同日、金、新崎は、それぞれ武田に電話し、右内容を伝え、武田もこれを了解し、三名で記者会見を行うことを内諾した。一七日、三名は集まり、記者会見の文案を作成した。また、その際、武田は、右写真を示され、本件舞台装置が金の作品の剽窃である旨確信し、記者会見への参加を最終的に承諾した。新崎、武田は、写真を見ただけで十分であり、本件舞台装置の実物を見たり、その他の確認作業をしたりすることは必要でないと考えた。金は、三名の合意に基づき、事前に、「劇団スコットによる舞台美術剽窃事件に関する記者会見のお知らせ」と題する記者会見の案内をマスコミ各社にファックス送信した。右文書には、「BeSeTo演劇祭において、作品の剽窃が発覚いたしました」、「法的手続きは既に準備いたしております」等の記載がある。
(四) 金、新崎及び武田は、一一月二一日、事前に打合せをした後、マスコミ各社を招いて本件記者会見を行った。記者会見では、武田が司会をし、新崎及び金が記者への発表及び応答を行った。新崎ら三名は、会見の席で、出席した記者に対し、戸村作品は本件著作物を盗作、剽窃したものであること、スコット代表者の鈴木忠志、戸村らに責任があること、謝罪広告や損害賠償を求める意図があることを発表した。
(五) 翌二二日、右記者会見の内容を記載した記事が、朝日新聞、産経新聞及び讀賣新聞の全国版社会面、東京新聞の社会面、並びに統一日報の各新聞紙上に掲載された。なお、朝日新聞、東京新聞にはスコットの名が、産経新聞、讀賣新聞、統一日報にはスコット、戸村の名が、それぞれ明記されている。
2 以上認定した事実を基礎として、前記記者会見で発表した金ら三名の行為が不法行為を構成するか否かについて判断する。
他人の創作活動が著作権侵害行為に当たる旨を記者会見等において公表するに際しては、当該作品を制作した者などから事実を確認するなどして、真実著作権を侵害する行為があったか否かを十分に調査し、他人の名誉を損なわないようにすべき注意義務があるというべきである。
ところで、斉藤及び戸村は、再三にわたり、戸村からの事情説明などを含めた話合いの機会を設けようとしていたこと、それにもかかわらず、金は、話合いを拒否し、戸村から事情の説明を聴取するなどして、著作権侵害行為に当たるか否かの確認行為をしようとしなかったこと、新崎及び武田らは、本件舞台装置を撮影した写真を見たのみで、戸村作品ないし本件舞台装置の詳細及び制作経緯について確認行為をしようとしなかったこと、また、戸村作品及び本件舞台装置の各制作行為が本件著作物に係る金の著作権を侵害するものでないことは、いずれも前記認定のとおりである。しかるに、金、新崎及び武田は、確認行為等をすべき注意義務を怠り、報道機関各社を招いて、スコット及び戸村が著作権侵害を行った旨の事実をマスコミ各社に対する記者会見で発表したものであるから、金、新崎、武田の三名には、この点において、過失があるというべきである。そして、右会見を伝える記事が各新聞に掲載され、スコット及び戸村の名誉を毀損されたものというべきであるから、金ら三名は、スコット及び戸村について生じた損害を賠償する義務がある。
三 争点5について
右認定のとおり、「劇団スコットによる舞台美術剽窃事件に関する記者会見のお知らせ」と題し、「作品の剽窃が発覚いたしました」等の記載がある記者会見の案内がマスコミ各社にファックス送信され、さらに、記者会見において、出席した記者に対し、戸村作品が盗作であり、スコット代表者の鈴木忠志、戸村に責任がある等の内容の会見がされ、その結果、右記者会見の内容を記載した記事が、全国紙を含む各新聞紙上に掲載されたことにより、スコット、戸村、の名誉が毀損されたものであり、右一連の事情、とりわけ本件記者会見に至るまでの経緯、本件記者会見の内容、新聞に掲載された記事の内容等の諸般の事情を総合すると、右名誉毀損による損害を償うには、戸村について四〇万円、スコットについて四〇万円をもって相当と認める。また、一切の事情を総合すると、右不法行為と相当因果関係のある弁護士費用に係る損害は、戸村及びスコットそれぞれにつき、各一〇万円が相当と認められる。なお、本件事案の経緯等すべての事情を総合すると、スコット及び戸村の名誉を回復するに当たり、謝罪広告をするまでの必要性は認められない。
四 したがって、第一事件原告らの請求は主文第一項ないし第二項記載の限度で理由があるからこれを認容し、その余を棄却し、第二事件原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却する。
(裁判長裁判官飯村敏明 裁判官八木貴美子 裁判官沖中康人)
別紙
別紙
別紙謝罪広告目録一、二<省略>
別紙第一物件目録<省略>
別紙第二物件目録二〜一三<省略>
別紙著作物目録(一)2〜(六)3<省略>